2025/12/26 20:00
ウイスキーを選ぶとき、私たちは味や価格だけでなく、そこに添えられた「言葉」からも多くを想像しています。
「スモールバッチ」
この言葉には、「少量仕込み」「一期一会」「造り手の判断が色濃く反映された一本」そんなイメージが自然と重なります。
実際、初めてその言葉と出会ったとき、多くの飲み手は少なからず心を動かされます。「早く手に取らなければならない気がする。」「今を逃すと、もう出会えないかもしれない。」その緊張感が、体験を特別なものにしてくれるのです。
しかし、ある段階を境にその言葉が静かに意味を変えていく瞬間があります。同じ名称で、次のバッチが出る。味の方向性も大きくは変わらない。流通も安定し、入手しやすくなる。このとき変わるのは、ウイスキーの品質ではありません。変わるのは、飲み手の受け止め方です。
たとえば、バスカーのスモールバッチシリーズ。
初作が登場した際の熱量と、その後のリリースに対する反応の違いに違和感を覚えた方もいるかもしれません。けれど、ここで誤解してはいけないのは、品質が落ちたわけでも造りが雑になったわけでもないという点です。むしろ中身は一貫しており、価格とのバランスも非常に誠実です。
では、なぜ印象が変わるのか。
それは、「スモールバッチ」という言葉がもはや体験を先導しなくなったからです。次があると分かっている。
味の輪郭も想像できる。日常的に手に入る環境が整っている。これはブランドの成功の結果でもあります。販路が広がり、多くの人に届くようになった。それ自体は、健全な成長です。
ただ一方で、「少量・特別」という言葉とその流通風景との間に、飲み手が小さなズレを感じ始める。このズレは、嘘や誇張によるものではありません。言葉が持っていた役割が、静かに終わった。それだけのことです。
スモールバッチだから価値があるのではなく、一本のウイスキーとしてどう向き合えるか。そこに判断軸が戻っていく。そう考えると、このシリーズは決して評価を落とすべき存在ではありません。むしろ「限定性」に期待しすぎず、日常酒として味わうことで、その完成度がよく見えてきます。
言葉は出会いの入口です。けれど、飲み終えたあとに残るのは言葉ではなく体験です。スモールバッチという表現が特別でなくなったと感じたときこそ、私たちはようやく中身そのものと向き合えているのかもしれません。

